除 夜 の 鐘
晦日の夜23時40分から25時頃まで
除夜の鐘を勤めています。本堂にて23時40分より「修正会」(新年を迎える法要)を勤め、鐘楼へ移動し「除夜の鐘」をつきます。除夜の鐘も108を越えても、参詣いただいた皆様にご案内しております。本堂にて手を合わせ、新しい年を無事に迎えられた喜びを阿弥陀様に感謝し、鐘つきへお並びください。足元が暗いので懐中電灯などお持ちください。
鐘の音のこころ
除夜の鐘といえば108。煩悩の数と言いますが煩悩って?
「意志」も濁れば「意地」となる。「徳」も濁れば「毒」となる。「口」も濁れば「愚痴」になる。「ブツブツと愚痴を言うならナムアミダブツ」「でも和尚さん、愚痴を言いあえる相手がいることは幸せですよ。独りで過ごしていたら、愚痴を言う相手もいませんよ」こんなやり取りがご婦人との間でありました。
「新しく迎える年が有難く、清らかな気持ちで迎えられるよう、良い年になりますように」とお参りされることでしょう。
私たちは濁ることなく清らかな心で過ごすことを願います。そんな心の邪魔するのが「煩悩」です。煩悩は1つ消えても、また次に湧いてくる、次から次からやってくるものです。
煩悩の中でもとくに3つの心によって私たちは苦しめられます。必要以上に欲しがる心。思い通りにならず怒る心。物事の判断ができず迷い、とまどう心。
例えると、「あの人が持っている物が、良いな、羨ましいな。どうして私はそれを持っていないのだろう。悔しい、腹が立つ。盗んでしまえ」といった具合です。そしてそれを手に入れたとしても、また次へと心が湧いてきます。
安 福 寺 の 除 夜 の 鐘 の 音 は
布 施 の 心 と感 謝 の 心
除夜の鐘をつくことは自身の煩悩を払うためでも結構ですが、「一年の計は元旦にあり」と言います。新年早々、この鐘の音の向こうには、聞いて下さる方がいらっしゃる。その方々の元へ阿弥陀如来のみ心を届けると考えてみてはどうでしょうか。布施の心から始まる一年はきっと良い一年になることでしょう。そして、お参りに行けない方も、鐘の音を耳にして、誰かが寒い中、鐘をつきに行かれている。有難い音を響かせてくださると、感謝の心で新年をスタートさせてみてはいかがでしょうか。感謝の心で始まる一年もきっと良い一年になるではないでしょうか。
阿弥陀如来のみこころ
阿弥陀如来のみこころは「慈悲」の心と言い換えることが出来るかもしれません。「慈」とは「友情を表す慈しみの心」そして、「悲」とは「自身が背負う悲しみの心」という意味の漢字です。つまり、「自分の事のように、相手の事を大切に思い、自分の事で悩むように、相手のことを深く思いやる」という意味があります。阿弥陀如来はそのようなみ心で、常に私たちのことを心に留めてくださっています。
鐘 楼
鐘楼は珂憶上人が安福寺を建立する際に、鋳物師和田信濃に命じ、天和三年(1683)に建立さました。そのことが鐘、鬼瓦に刻まれています。
平成三十一年(2019)に平成の鐘楼屋根瓦の修復をしました。屋根瓦には施主名、ご先祖様の戒名を記し、葺きなおしました。
西側から東側を向いて鐘をつくように建てられています。西とは阿弥陀様がおられる世界、つまり西方極楽浄土のことです。東は私たちが過ごすこの娑婆世界です。西から東へと鐘の音が響き渡るように意図されています。
鐘のつく部分(西側)には阿弥陀様が、その反対(東側)にはお釈迦様が刻まれています。これは、お釈迦様は私たち(東側)に寄り添いくださり、阿弥陀様を信じるが良いと、温かくお声掛けくださることを表現しています。
鐘の音がドレミファソラシドのどの音だろうって考えながら聞いたことありますか?
数年前、東京から、安福寺の鐘の音を調べたいという先生がお見えになられました。古い本に掲載されている、歴史のある鐘の音を録音するために日本中をめぐっていらっしゃるようです。この先生は中国の五行思想から、仏様を表現する音階が決められているとおっしゃいます。そして阿弥陀仏の音は「ミ」の音だそうです。
安福寺は浄土宗であり、阿弥陀如来を信仰し、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えします。このことを理解して、この鐘は造られたのか。これが先生の調査された目的です。
調査の結果、鐘の音は「ミ」でした。つまり今からおよそ340年前に鐘楼が①西側から、東側に向かってつくように建立されている。②鐘の西側には阿弥陀様、東側にはお釈迦様が刻まれている。③鐘の音が「ミ」の音である。この3点を意識して造られたものとわかりました。